ドレスデンとザクセンのスイス

もっと不幸なことに、戦後は東ドイツ領となり、今度は共産党政権の下で長年に渡って放置と破壊され、本格的に復興が始まったのは89年、壁が崩壊した後のこと。

それにここで、美しい町と建築だけでなく、それ以上に、復興した際の人々の努力と二度と悲劇を起こしてはならない決意を見ることができました。

朝8時、新市街のドレスデンノイシュタット駅から旧市街に向かいます。

エルベ川にかかるアウグストゥス橋
静かな日曜朝でした。

朝のエルベ川
左の建物はザクセン州首相府



エルベ川を渡って旧市街に入ると、
まず目に飛び込んで来たのはカトリック旧宮廷教会
彫刻と屋根に立つ聖人の石像がお見事。





そしてちょっと左に曲がると、そこは
長さ101mの「君主の行列 Der Furstenzug」という壮大な壁画。
壁画といってもなんと全部マイセン磁器でできています。
1123年から1904年までの歴代ザクセン君主が描かれています。

1945年2月13日深夜、悲劇がドレスデンを襲いかかりました。
1300機の爆撃機(800機のイギリスのランカスターと500機のアメリカのB-17)がそれほど大きくない町に4000トンもの爆弾を投下しました。
当時、殆ど軍事的施設のないドレスデンは比較的安全だと思われ、たくさんの避難民が流入していました。爆撃は正確に榴弾→焼夷弾→榴弾の順番で投下され(破壊→火災を引き起こす→消火活動の妨害)、町は4日間も燃え続けました。
これは建物の破壊というよりも人的損害を狙ったやり方で、地上では常に1500度を超える熱風が吹き、防空壕に逃げ込んでも全く意味がありませんでした。
一夜にして犠牲者は2万5千人(13万5千人という説も)にも上り、もう決着がついた終戦間際でこのような空襲ははたして意味があるのか、イギリス国内でも批判の声が上がりました。

復興の象徴となたフラウエン(聖母)教会
建てるのに6118日もかかったのに、1夜で破壊されてしまいました。

東ドイツ時代は廃墟のまま放置されていましたが、
1994年から瓦礫を一つ一つ元の場所に戻すという
気の遠くなるような作業で11年間かけて再建されたゆえ、
「世界最大のパズル」と言われています。
黒い部分は元々の石、白いのは新しい石です。

頂上の十字架は爆撃に参加したイギリス空軍のパイロットと
その家族の寄付で2004年に復元されたものです。
ドレスデンを後にして、プラハ行きの列車に乗り込み、
エルベ川に沿って30分ほど走るとチェコとの国境近くに
ザクセンのスイスという美しい所があります。
暗い気分を嘘のように吹き飛ばしてくれます。

エルベ川湖畔、無人駅のケーニッヒスシュタイン(Konigstein Sachs Schw)

ケーニッヒスシュタイン要塞 Konigstein

美しいエルベ川

要塞と線路は川の西側

反対の東側に見えるのはザクセンのスイス

長年の侵食によりたくさんの奇岩ができています。
ザクセンのスイスと呼ばれているけど、
あまりスイスと関係がないと思いますが・・・
岩の上に見えるのは バスタイ橋 Basteibrucke 。
結局時間がなくて、要塞にも橋にも行きませんでしたが、
こう記事を書いてるうちにめっちゃ一泊したい気分になりました。
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