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ドイツからポーランドへ(6) アウシュヴィッツ

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
アウシュヴィッツに行く一番簡単な方法はバスです。
クラクフ駅の東口に大きなバスターミナルがあり、
その一階は短距離、二階は長距離のバスが発着しています。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
チケットオフィスは二階にあります。

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もらったチケットはスーパーのレシートみたい。
明日の朝6:20発、乗り場G1、二人で約900円
席を予約したわけではなく、車内でも買えますので、
特に事前に買うメリットはないですが、
乗り場を事前に確認できるので安心は安心です。

ちなみにアウシュヴィッツはドイツ語です。
ポーランド語はOswiecim(オシフィエンチム)といいます。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
乗り場G1はすぐに見つかりました。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
翌朝5時半、アパートから出発

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
この時間から旅に出る人がいっぱいいました。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
英語とポーランド語の両方が書いてあります。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
アウシュヴィッツはクラクフから70km、1時間半かかります。
普通の路線バスなので、通勤に使う地元の方もいました。

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オブヴァジャネクというパンの屋台
あちこち見かけます。1つ40円ぐらい。

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
だんだん郊外の風景に変わりました。

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GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
クラクフ・バリツェ空港 EPKK

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GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
車窓から軽くマニア活動

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GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
軍民共用

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
冬の東ヨーロッパを旅する時によく見かけるヤドリギ(宿り木)
他の樹木の枝の上に寄生する不思議な植物です。

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
夏は隠れて分かりませんが、冬の間は葉っぱが枯れませんので
遠くから見ると大きな鳥の巣のように目立ちます。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
7:45分アウシュヴィッツに到着。
観光客はまだ少ないです。

今見学できるのは、第一と第二2つの収容所です。
(戦時中は第一第二第三...多数の施設がありました)
展示は主に第一にありますので、
第一から回ったほうが分かりやすいです。

1~3と11月の10:00-13:00
4~6月の10:00-16:00
12月の10:00-12:00
はガイドツアーのみ見学可能です。
英語ツアーの場合料金は60PLN(2000円)
所要時間は第一第二収容所合わせて3時間前後です。
また日本人ガイドの中谷さんが案内する日本語ツアーもあります。

上記を除いた開館から閉館までの時間帯は
入場無料の自由見学になります。
たとえば2月は開館7:30、閉館16:00なので、
7:30~10:00、13:00~16:00は無料です。

興味ある所をじっくり見たい方にはぜひ自由見学をお勧めします。
中の本屋さんで15PLN(500円)の日本語ガイドブックも売っています。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
自由見学でも人数を管理しているようで、
適当に行って入れるわけではありません。
私たちはネットから8:00の枠を予約しました。

入り口に身分証明(パスポート)のチェックがあります。

その後、空港のようなX線荷物&ボディチェック
A4サイズ以上の荷物は持ち込み禁止です。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
「働けば自由になる」
1979年アウシュヴィッツは世界遺産第2号の1つとして登録されました。
(初代世界遺産のうち3つもクラクフにあります)

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
もともとポーランド軍の兵舎だった第一収容所には
30棟あまりの建物があって、一つ一つの中に
当時の使用目的に合わせて異なるテーマの展示になっています。

ガイドブックの案内順に回ると、一つ目の4号棟は
ユダヤ人への迫害、収容所の生活、強制労働、人体実験、
及び第二次世界大戦とポーランドの歴史の解説です。

すごい量で全部載せられませんが......

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1939年、ヒトラーとスターリンのポーランド分割

ソ連のポーランド、フィンランド、バルト諸国侵略...
2万5千人のポーランド人捕虜がソ連に殺害された「カティンの森」...
ワルシャワ蜂起...

「ソビエトがヨーロッパをナチスから解放した」とソ連がいうが、
そもそもヒトラーとスターリンの違いは私にはよく分かりません。
歴史は勝者が書く!
これは現実です。


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Ghetto(ユダヤ人の強制居住区)

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強制収容所、人体実験と大量虐殺

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ソ連に裏ぎられたワルシャワ蜂起

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
4号棟の2階には女性囚人から切り取った
2トンの髪の毛が展示されていて(撮影禁止)、
ドイツ企業に売られ絨毯や生地の原料にされたそうです。

5号棟には殺害された人々から没収された所持品
メガネ、食器、靴、トランクケース、それに義肢まで。
あまりの量でぞっとしました。
ちょっと不謹慎なので写真を載せないことにします。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
6号棟と7号棟は強制労働と居住環境の展示

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
この1棟に700人以上も収容していました。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
廊下の写真に写っているすべての人が収容所で亡くなりました。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
11号棟中庭にある「死の壁」
両側の窓は死刑の様子が囚人に見られないように塞がれていました。

中庭左側の10号棟は人体実験(見学不可)の場所
右側の11号棟は囚人を餓死させるための監獄(写真不可)でした。

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
数千人がここで銃殺されました。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
電流が流れる有刺鉄線

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8


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見せしめのための集団絞首台

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8


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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8


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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
有刺鉄線の外側は親衛隊の司令部と病院

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
さらに少し歩いた所
1947年4月16日所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスが処刑された場所。

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
ヘスの絞首台から見るアウシュヴィッツ

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
絞首台の隣、大きな煙突が立っている所はガス室と焼却炉

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
人々は、これからシャワーだよと騙され、ガス室に入り、

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
天窓から投入された毒薬のチクロンBによって、
20分ほどで苦しみながら命を絶たれました。
「シャワー室」の壁には、人々を安心させるための
ダミーの蛇口まで取り付けられていました。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
チクロンBの空き缶の山
1缶のチクロンBで150人を殺害できるそうです。

チクロンBを製造したデゲシュ社を創設したのは
ドイツ人科学者のフリッツ・ハーバー博士。
「化学兵器の父」と呼ばれるハーバーはとても愛国心が強い人で、
「悲惨な塹壕戦を早期に収束させたい」という考えの元で、
第1次世界大戦中、ドイツ軍の化学兵器開発の統括をしていました。

本来チクロンBは戦時中ドイツの食糧難を解決するために
ハーバーが1917年から開発、1923年に商品化した殺虫剤です。

ちなみに、
ハーバーは殺虫剤チクロンのほかに、
窒素の化学肥料の主原料であるアンモニアを合成する
ハーバーボッシュ法も発明しました。
その功績により、戦後の1918年にノーベル化学賞まで受賞し、
人類の食料生産を飛躍的に増大させることができました。

しかし皮肉なことに
「平時には肥料を、戦時には火薬を」と言われているように、
火薬の原料となる硝酸もハーバーボッシュ法を活用して
大量生産できるようになり、海上封鎖にもかかわらず
ドイツの戦時中に消費するすべての火薬が国内製造で賄えました。

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
実はドイツを愛したフリッツ・ハーバーも、ユダヤ人です。
1933年ナチスが政権を取るとユダヤ人に対する弾圧も日々増して行きます。
第1次世界大戦中の軍歴が考慮されハーバーは解雇されませんでしたが、
1934年にとうとう「祖国ドイツに今日まで全生涯を捧げてきたという自負から」、
辞職願を教育大臣に提出。

その後シオニズム(イスラエルの地に故郷を再建するユダヤ復興運動)に
参加するためにスイス経由でパレスチナへ渡る途中、
墓碑銘に「彼は戦時中も平和時も許される限り祖国に尽くした」と記してほしい
との遺言書を残して、動脈硬化で死去。
それから10年後、自分が開発したチクロンBが
ユダヤ人同胞100万人の命を奪ったことは知る由もありませんでした。

愛国心を裏切られた男の、戦争に翻弄された人生でした。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
ガス室のすぐ隣は焼却炉
ここで一日340人の遺体を焼くことが可能。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
しかしこれでも処理能力がすぐに足りなくなったため、
1943年に第二収容所でこのような大規模な施設4棟と
農家を改造した施設2棟が建設され、
それぞれ脱衣室、ガス室、焼却炉で構成されていました。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
第一収容所を後にして、これから第二に向かいます。

第一収容所は他の収容所を統括する役割を果たしていて、
囚人はユダヤ人の他、主に犯罪者、政治犯、同性愛者とソ連捕虜でした。

第二収容所(ビルケナウ)はユダヤ民族の絶滅政策に基づいて建設され、
最大な犠牲者を出した収容所です。犠牲者のほとんどがユダヤ人でした。

第三収容所(モノヴィッツ)の隣にドイツの大企業IG・ファルベンの
化学工場があり、約1万人がそこで強制労働させられました。
IG・ファルベンはチクロンBを製造したデゲシュ社の親会社で、
今も現存する会社です。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
第一収容所前にある第二収容所行き無料バスの停留所
クラクフに戻る高速バスもここから出ています。

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冬タイムの時刻表
左側は第2収容所、右側はクラクフに行くバスです。
クラクフへ戻るバスは本数が少ないので、
事前に見学時間を計画しといたほうがいいです。

私たちは第一収容所で2時間近く滞在しましたが、
それでも第二収容所行きの一番早い10:30の無料バスまで
後40分もあります。

この日は曇りで風も強かったです。
第一収容所の見学ですでに心身とも冷え切った二人は、
タクシーで行くことにしました。
料金は20PLN(600円)でした。

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ちなみに第二から第一収容所に戻るバス乗り場は「死の門」の隣です。
行はタクシーだったので、探すのにちょっと苦労しました。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
死の門

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2


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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
生きて出られた人はほとんどいませんでした。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
何十人も窓のない貨車に詰め込まれ
何日もかけてここまで運ばれて来ました。
水も食料も与えられず途中で命を落とした人も少なくありませんでした。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
収容所内の降車場

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人々は移送の前にすでに親衛隊とゲシュタポに全財産を没収され、
「移住」と騙されてわずかな日用品を持ってここに連れて来られました。
ここに到着してすぐ、そのわずかな日用品も略奪されナチスの財産になりますが...
(後ろに見える二つの煙突と建物はガス室と焼却炉)

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この降車場で親衛隊医師による最初の選別が行われ、

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老人、女性、子供、障碍者、
労働できない人たちはすぐにガス室に送り込まれました。

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
たとえ労働力として認められても非常に過酷な労働を強いられ、
怪我、飢餓と病気に苦しみながら衰弱して亡くなっていきます。

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ヨーロッパ中から少なくとも130万人がアウシュヴィッツに連行され、
その内訳は
ユダヤ人110万人、
ポーランド人14万人、
ロマ(ジプシー)23000人、
ソ連軍捕虜15000人

この中で、およそ90万人のユダヤ人が到着直後の選別で
「無価値」と判断されすぐにガス室で殺害されました。

1945年1月27日ソ連軍がアウシュヴィッツを解放した時に
収容所に残された囚人はわずか7000人あまりでした。

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
親衛隊長官 ハインリヒ・ヒムラー

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
アンネフランク一家も1944年9月6日にアウシュヴィッツに収容され、
アンネとお姉さんのマルゴーはドイツにあるベルゲンベルゼン収容所に
移送される10月末までお母さんのエーディトとここにいました。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
エーディトは1945年1月6日アウシュヴィッツが解放される20日前に餓死で、
アンネとマルゴーも1945年春にベルゲンベルゼンでチフスで亡くなりました。

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photo by YUMI GX7 + LEICA DG NOCTICRON 42.5mm / F1.2
お父さんのオットーだけは解放まで生き延びることが出来ましたが、
降車場は妻と娘たちを見た最後でした。

余談ですが、フリッツ・ハーバー博士と同じく、
オットーも祖国に裏切られた熱心な愛国者でした。
第1次大戦中に中尉まで昇進し、鉄十字章も受賞。
アムステルダムの隠れ家でオットー一家を逮捕した親衛隊曹長が
それを知った時、「どうしてそれを申告しなかったのか、
ほかの(勲章を受けた退役軍人を収容する)収容所に送られることで
済んだかもしれないのに」と呟き、
一瞬敬礼さえしようとしたと戦後オットーが証言しています。

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GX7 + KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

民主主義=多数決?という議論は置いといて、
多数決は民主主義の意思決定の手段であることは間違いありません。
それに基づいて考えれば
ヒトラーが独裁者だと呼ばれることにすごく違和感を感じます。

別にヒトラーを肯定するつまりはありません。
しかしヒトラーの支持率が90%以上で立派な「民主主義」でした。
支持率20-30%台(「ほかに相応しい人がいない」を除いて)
のリーダーのほうがよっぽど独裁者です。

もちろんヒトラーが民衆を洗脳したのも事実ですが、
最初に民衆がヒトラーを選んでいなければ
選択->洗脳->熱狂
の「自己強化」のサイクルも始まらないわけです。

ではなぜアウシュヴィッツの悲劇が起きたでしょうか。
親衛隊員たちも家に帰れば良き父親で良き息子、
皆祖国ドイツのために戦ったと信じていました。

そこには明らかに集団心理の落とし穴がありました。
つまり皆が同じ考え方を持つと
何が正しいかが分からなくなり、悪いことも正当化されてしまうことです。


単一民族ほどこの集団心理の罠に陥りやすく、
日本も戦時中はそうでしたが、
今は逆に戦後教育に「洗脳」され平和ボケになっています。

皆政治に無関心で、選挙にも行かず、なのに
今の生活水準が永遠に続くと当たり前のように信じています。
しかし、いざ国家の危機が起きると
やっとどれだけ無能で無責任な人を選んだかに気づきます。

ヒトラーの「自己強化」のプロセスと逆に
「自己破壊」のプロセスを辿って行くわけですが、
本質的には全く同じです。


一方、アメリカでは
危機の時に大統領を引きずり下ろしたりはしません。
それより選ぶ時にちゃんと選んでよという発想です。

アメリカは間違いなく20世紀後半最強な国でした。
それは世界中から人たちが集まって、
いろいろな立場から、様々な異なる思想や考え方を
ディスカッション・融合して知恵を生み出した結果です。

と言いながら、これからも最強かどうかは分かりません。
アメリカ社会もだいぶ閉鎖的で自己中心的になっているからです。

そしてどの国からも寛大さが消え去った時に
いよいよ(アウシュヴィッツの)「歴史が繰り返す」時がやって来ます。


戦争は集団心理によるものである以上
それは人類の避けられない宿命です。
「戦争は嫌いだ」とただ叫ぶだけで平和になれるなら、
ルワンダ、コソボ、中東......
もうとっくに戦争が世の中からなくなっています。

歴史を学ぶことはただ悲しんで終わるのではなく、
同じことがまた起きた時にどう対処するか、それに備えておくことです。

経済・政治・軍事せめてどれか一つが強い国になることこそ
戦争(侵略される)を回避する方法であり、
それを実現するのは政府ではなく、
政府を選ぶ(政治家を育つ)国民の責任です。

戦後日本が戦争を回避出来たのも
米ソ冷戦の勝者であるアメリカ側にいたことと
世界の経済強国だったからです。
しかし、これらはもう過去の話です。
あまり平和ボケにならないほうがいいかもしれません。

つづく


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コメント

実にセンセーショナル

いろいろ見聞きはしていましたが。
実物は語りますね。
見るも聞くも辛い。
しかしながら現実にあった歴史。
日本人ももっと広島、長崎に直視しなければ。
沖縄もしかり。
平和ボケにならぬ、お二人の訪問でした。

No title

コチラは・・・人類の負の遺産ですねぇ。。。
そして争い(破壊)を好む悲しい人間の本能の
あってはならない形ですね。。。

人が残虐になるのは『自分が正義』だと思っているときだとオイラは思ってます。
虐殺、戦争や身近なネット中傷も同じでしょう。
そうなると『正義』という定義に疑問を持たなくてはならなくなってしまうでしょう。
酒が入っていると一晩中哲学的な話しを語ってしまいそうなので、こちらでは割愛します(笑)

ただ・・・
悲劇は繰り返してはなりません。
改めて思う記事でした。

No title

詳細な説明、現地に行ってみたくなりました。

日本の平和ボケには同感致します。

Re: 実にセンセーショナル

ばんぶうさんへ
冬ではなく、暖かい夏に行くべきでした。
ブログにも書いていましたが、
本当に心身共に冷え切っていました。
迫害された人たちの生活を想像するだけで辛かったです。

Re: No title

昆布ちゃんへ
おっしゃる通り正義の定義は、立場が変われば180度変わりますね。
ある立場から見た英雄は、逆サイドから見れば犯罪者……

このブログでなるべく政治の話に触れたくないですし、
アウシュビッツも結構重い話題で、
さらっと書くか、言いたいことを全部書くか、
ちょっと悩みましたが、
私もお酒が入ったせいか(笑)
結局全部書いちゃいました。

しかし昆布ちゃんとお酒を飲むのは楽しそうですね。
一晩中哲学ですか、遠慮ご無用です(笑)

Re: No title

のび太さんへ
はじめまして
遠いですが、初代の世界遺産を3つも持っているクラクフは
行く価値があると思います。
特にアウシュビッツ、
いろいろ考えさせられました。
今コロナで閉鎖中かもしれませんが。

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Re: No title

鍵コメのsさんへ
遠い国ではなく、近場でもいいですので、
またご一緒に出かけましょう。
いろいろありがとうございました。
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