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ベルリン(3) 壁

西ドイツと東ドイツの分断とともに、
ベルリンも東西に分断されました。
とはいえ、1950年代までベルリン市民は
西ベルリンと東ベルリンの間を自由に行き来することが許されていました。
それが故に、毎年数万人にのぼる東ドイツ人はベルリン経由で
西ドイツに流出し、それがソ連を悩ませていました。

1961年8月13日深夜0時、ソ連は何の予告もなく
西ベルリンに通じるすべての道を遮断し、
夜明けになったら自由の移動はもうほぼ不可能になりました。
東西ベルリンにバラバラに住む家族はもちろんのこと、
町の反対側に通勤する人や、運悪くたまたまその時東西ベルリンに
別々にいた家族や恋人まで引き裂かれました。

その後壁の建設はどんどんエスカレートして、
とうとう要塞と化していきます。
テレビによくコンクリートの壁が映り出されますが、
実はあの壁、東側にもう一枚あって、
東西の壁の間は数十メートルの無人地帯でした。
無人地帯には監視塔、巡回路、番犬、有刺鉄線。。。
1970年代に入ると、とうとう対人地雷まで埋められるようになりました。


壁を見学するならBernauer Str.の
BERLIN WALL MEMORIAL
をお勧めしたいです。 (地図1の⑤)
http://www.berliner-mauer-gedenksteatte.de/en/index.html
他の場所と違って、単に壁の一部だけでなく、
無人地帯「死のゾーン」も保存されています。
また、隣の博物館で写真とビデオを見たり、
展望タワーに登って壁の全貌を眺めたりして、大変勉強になりました。
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Sバーンの北駅(Nordbahnhof)を降りて北へ200m進むと当時壁があった回り角にぶつかります。看板を覗いたら散歩中のおじさんが話しかけてくれて、彼のお蔭でチンプンカンプンのドイツ語を調べなくて済みました。
20140720P1010375_m.jpg20140720P1010378_m.jpg
A地点の写真:確かに巡視路に立ってみると無人地帯の幅は100mありそうです。
逃亡するにはこんな距離を走らなくちゃ~。
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B地点の写真:博物館の展望台から撮ったもの。壁の幅にしては狭いほうです。
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監視塔                      犠牲者にささげられた花束


チェックポイントチャーリー (地図1の④)
20140720IMG_2062.jpgチェックポイントチャーリーは当時東西ベルリンの間にあった三つの検問所A(アルファ)、B(ブラボー)、C(チャーリー)の中の一つで、現在博物館になっています。BERLIN WALL MEMORIALの博物館は壁そのもの(壁の歴史や構造等)についての展示でしたが、チェックポイントチャーリーは「壁を乗り越えようとした人々に関する展示」になっています。例えば逃亡計画に使われた熱気球、ベビーカー、自動車、潜水艇から飛行機まで、それに壁に設置された地雷や自動発射装置、まさしく命がけの逃亡劇を体感できます。残念ですが、館内は撮影禁止です。
←博物館のパンフレット
表紙は1961年10月に起きた「ベルリン危機」当時の写真。チェックポイントチャーリーでアメリカのパットン(手前)とソ連のT-55戦車(奥)が50mの距離を挟んで向かい合って対峙していた場面。もちろん実弾装備。
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今の検問所はすっかり観光スポットになっていて、そこの兵隊さんは一緒に写真とらない?と手を振ってくれました。でも、イギリスとアメリカ国旗の下に、「PHOTO 1€」の看板が隠れていたのを私は見抜いたので「だま」されませんでした(笑)
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実際に駐留していたアメリカとソ連の兵士のデカい顔写真が飾ってあります。


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ポツダム広場(地図2の⑤)にも壁のブロックが残っています。 
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ベッカムがいつ東ドイツの警察になったの?
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当時無人地帯だったポツダム広場にソニーセンターが建ち、すっかり変貌しました。


1989年東欧各国で民主化運動が勃発、
8月19日ハンガリーでピクニック事件が発生、
11月9日とうとう壁が崩壊しました。

壁の崩壊まで、5000人の東ベルリン市民が脱出に成功し、
3000人が逮捕されました。また脱出するために命を落とした人は192人もいました。
最後の犠牲者が射殺されたのは1989年2月6日、壁崩壊の半年前のこと。
ブランデンブルク門の前に彼らを追悼する花が捧げられています。
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Map_Berlin-2.jpg
地図1 ベルリン
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地図2 ブランデンブルク門周辺


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コメント

No title

東と西 北と南
アメリカとソ連
数十年後にはそのほとんどが風化され
「どうでもいい過去」になっていくのでしょう
名を残せた歴史の犠牲者は
まだ救われるのではないでしょうか
国境もなく 地球人として一つになるのは
人類滅亡が近い頃になるのでしょう
今となりにいる人を大切にする気持ちが大切ですね

有難う御座います

有難う御座います、大変勉強に成りました、観光旅行で無い物を感謝致します、戦車博物館など色々お教え下さい、本当に有難うございました。

No title

すんごいよねえ,中部あたりで東日本と西日本に分かれて,東京に壁がある状態だもんね.東欧の国境はどこも怖かったよ.国境警備員はみんな機関銃持ってたし.

Re: No title

wakaさん
ドイツを訪れると歴史を風化させない努力を強く感じさせられました。
何事でも時間が経つと風化していくでしょうが・・・
その努力に感心しました。

Re: 有難う御座います

Tonyさん
アメリカも博物館が多いですね。
いつかその話を聞かせてください。
2,3回重い話が続きましたが、
次からは普通の海外旅行っぽい話になります(笑)

Re: No title

siennaさん
壁崩壊前に東ヨーロッパへの旅行は度胸が要りますね(笑)
でも捕まったら「スパイシエナ」って呼ばれたでしょう。
なんか妙に響きがいいですね(笑)

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